楽しい人生を送るためのキャリアカウンセリング

自分らしく生きるための考え方や感じ方のヒント

「意識高い」という言葉がしっくりこない件

今日は長年思ってきたことをただ書く回なのですが。どうも長い間「意識高い」って言葉がしっくりこないできました。今回はこの言葉のどこに違和感を感じるのか、というところを掘り下げてみたいと思います。

 

単にその方が面白くて楽しいからやっている

これ、遡ると似たようなことは小中学校位から感じていました。私はいわゆる学級委員や生徒会などを好き好んでやり、英語は発音よく読み、合唱祭等では大きな声で歌うタイプでした(なお、そこまで勇気がある訳ではないので、委員等は他にやりたい人がいれば手を挙げないし、みんなでがんばろうよ!とかまでは言わないタイプ)

こういう行動をとっていると、少なからず「評価をあげようとしている」とか「真面目だねー」みたいな視線やコメントが発生します。(周りはいい友達ばっかりだったので困ったことないですが)

でも私、今振り返っても、一度も評価のためとか、真面目だからそれらをやったことないんですよね。生徒会は仲良かった友達も同時に声かけられていたので、「やったら絶対楽しいだろうな~」と思ったからやっただけですし、英語や音楽もみんなに合わせてやらないよりやったほうが楽しいからやってただけです。単に、興味があって、やったほうが面白いことできそうだなって思ったから。それだけでした。

 

自分の選択肢を広げたいだけ

高校・大学に進むと、それなりに意欲的な人たちの多い環境にいたせいか、あまり感じることは少なくなったのですが、社会人になり、スキルアップやらビジネス書を大量に読んだりをしはじめると、またこの「なんか頑張っちゃって」という場面と遭遇するようになりました。(これは別で書きたいのですが、さらにここに「女のくせに」が入る場面にも遭遇)

正直、自分としては訳わからないまま仕事するよりノウハウ勉強したほうが仕事が楽しくできますし、身に付けるとさらにおもしろい仕事がくるので楽しいからやっているだけです。加えて、自分自身のスキルをアップしておけば、そのとき所属しているところに何かあった時や次のステップに進みたくなった時も、しがみついたりせずに自分で選びやすくなるのでそうしたいだけ、なのですが、これらに大体「意識が高い」という言葉で処理がされてきました。

 

何故意識高いという言葉に違和感を感じるのか

上記のような体験も踏まえ、何故この言葉に違和感を感じるのか考えてみたのですが、恐らく理由は2つあります。1つは、上に書いた通り「意識が高いからやってるわけじゃないんだよな・・」という言葉がハマっていない感。もう一つは「自分とあなたは違うタイプの人間ですね(自分はそういうのしないし理解できない、はいこの話終了)」というニュアンスを感じる、というところだと思います。

上手く言えないのですが、人によって興味や行動の範囲、気持ちいいレベルは違いますし、それが当然です。それを、その使い方や感じ方が違う、という理由でばっさり切られてしまうと、なんだか悲しいなあ、、と感じる。

これらがこの言葉に私が感じていた違和感なんだと思います。

 

十人十色がもっと蔓延するといいなあと思う

多分小学校や中学校で感じていた、歌や英語をしっかり読む時に感じていたことは後者に近いのではないかと。「みんなやる気ない感じでやるってことになってるのになんで違うことすんねん」ってことですよね。そして社会人になってからの話も、「みんな働くの好きじゃないでしょ?休日はゆっくりしたいでしょ?って雰囲気なのに何で違うこといい出すのか」で、これもまた似てるなあと。※ちなみに今現在そういうことがあるという話では一切ないので誤解なきようお願いします。

 

みんな自分が気持ちいいようにやればいいし、それぞれの気持ちの良い過ごし方をお互い尊重すればよいのに、なんだか勿体無いなあと思うのです。

 

私は十人十色という言葉が大好きです。皆それぞれ違って、それぞれの色が美しい。それで十分ではないでしょうか。そしてもう少しそういう考え方が広がればいいのになあ、とそんな風に思います。

もしかしたら、ネガティブな意味で「意識高い」を使っていない方もいらっしゃると思うので考えすぎかも知れないのですが、今までこの言葉に感じていた違和感について書いてみました。

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