なりたい自分と未来のためにはある程度孤独が必要である
こんな本を読みました。
ざっくり言うと、著者の方は高校の途中まであまり勉強をしなかったのですが、「起業してお金持ちになり経済的に自由になる」という目標が出来ます。それを達成するため高校の友人と距離を置いて勉強、大学に入った後は会計士の資格とるため楽しい大学生活はせず家と資格スクールを往復、一流コンサルに勤めてからは起業に向けて仕事後の飲み会等は夢の達成のための努力に費やし、結果起業で成功し今満足できる人生を送っている、、という内容です。
ここまで徹底していると尊敬の域というか、自分にはできないな(方向性が違う?)と思ってしまうのですが、ここまでではないにしても、私達が自分の心が望むように生き、ほしい未来を手に入れるためには、ある程度の孤独と上手く付き合っていくしかない、というのは事実だと思うのです。
本気で目標に向かおうとすると孤独が必要になる
私は新卒3年目の時にキャリアカウンセラーの資格を取ったのですが、これを取っている間、土日の片方は丸つぶれ、しかも転職したばかりで忙しい時だったので、3ヶ月という期間でありましたが、友達と遊ぶ時間や余裕はありませんでした。しかし、おかげで今副業でやりたかった仕事を細々とできたり、本業の中でも資格があるのをきっかけに研修や採用よりのお仕事をもらいやすくなりました。
他にも、
社会人になってから薬剤師になることを決め、試験前は大好きな趣味も友人と遊びに行くのも我慢して見事合格した友人
将来の起業に向けて海外MBAを採るため恋人と会うのも最小限にし、プライベートの時間はひたすら勉強に打ち込む大学の後輩
趣味のバンドで、やりたい音楽にだけ絞って取り組み、それ以外のものは親しい人からの誘いでもきちんと断り、決めたものはハイクオリティな演奏をする知人
等すごい人が周りにわんさかいるわけですが、共通しているのは、
「自分がやりたいことや将来ありたい像の達成のためにある程度の孤独を受け入れている」ということです。
「お付き合い」を制限する必要性
やりたいことをやり、なりたい自分になるためには、どうしても一定数お付き合いを減らす必要があります(もしくは多少したくないお付き合いをする必要)
正直、この時期は本当に不安です。
友人は離れていくのではないか、受からないかもしれない、他の人が遊んでつるんでいるのがとても楽しそうに見えて、おいてけぼりになっている気もします。
本当は明日からの仕事に備えて早く帰りたいのに無理して遅くまでいてしまうとか、今日はジムで鍛えようと思っていたけれど、不安になって何となく参加する・・とか、小さいことでもたくさんあると思います。
しかし、時間は限られています。楽しいだけの時間を過ごしていると、恐ろしい勢いで時間は過ぎます。そして年末「目標としてたことの半分も達成できなかった・・」といいながら、またその次の年の目標をたて、年を重ねていきます。
それは、「悪いこと」では全くありません。それを選ぶのも選択肢です。
しかし、孤独を乗り越えた先で、得られる充実感や世界は、それを何倍も凌駕するものだと感じています。さらにここは重要なのですが、本当につながっていたい人達は、孤独の間も応援してくれ、そして待っていてくれます。(ちなみに私も大事な友人が夢のために孤独と戦う必要がある時はいつも待っています)
時間は限られていて、人生は短い。だから、優先順位をつけて、時には孤独を受け入れるのが、必要なのだと思います。
少し「孤独の時間」を増やして、思ったこと
好きな人と時間も気にせず楽しいことだけをする時間はとても幸せで、誰かといるときは自分は大丈夫で安心だ」という充実感も感じます。そのお湯につかっているのが本当は大好きです。(おまけに私は基本的に頼まれると断れないタイプなので引きずられることが多い)
が、最近目標に向けて少し「孤独な時間」を増やして、やりたいことに費やす時間を捻出し始めました。
少しだけやりたいことを選ぶ時間を増やして、その分、限られた時間で好きな人達と濃厚な時間を過ごす。そんな風に過ごしていると、寂しいという理由で誰かといなくても自分の事を好きになっていく気がします。
そんな風な過ごし方が、結果人生全体が豊かにしていくのではないか、そして、その短い時間でも強固でいられる人間関係は、長く一緒にいないとつながっていられない関係よりもずっと強固で、それは結局「ひとり」の時間は増えるけれど「孤独」ではないのかもしれない。
そんなことを思いました。