楽しい人生を送るためのキャリアカウンセリング

自分らしく生きるための考え方や感じ方のヒント

他人に自分と同じ強さや体験を強要するのは、自己肯定感が低い人のすることだと思う

先日、今までの職場で数々の修羅場をくぐり抜けてきた人とお話する機会がありました。

私とその方は激しい働き方や場面に多数遭遇していた関係で、「職場で何が起こっても大丈夫になっちゃったよね」という話題でひとしきり盛り上がっていたのですが、その中で、「自分は平気だけど周りのメンバーはきつそうな場面があった。自分のキャパ基準で考えるのはよくないと気がついた」という話がでてきました。

これ自体(気がついた)はいいことなのですが、これのよくないバージョンを、最近色んな所で見るなと思ったのです。今日はそのことについて考えてみました。

 

自分はこんな風にやってきた。それができない人は甘い・間違いという考え

SNSで悲惨な労働環境を発信すると、「自分の方がもっと辛い、甘い」というマウンティングが発生するのをよく見ます。類似の現象はどこにでもあって、自分が残業して認められてきたので残業しない人は認めない、酒の席に付き合えないのはダメなやつだ、子どもをもたないなんておかしい・・・色んなことで溢れています。

でもこれって、言っている「その人」や「その人が生きてきた環境」が基準になっていることが殆どなんですよね。そして、その基準が正しくて標準である、という前提の元、そうでない人はダメという論理です。何故この様な発想になるのでしょうか。

 

自分と同じ基準でないとダメ→自分が正しいと思わないとやっていけない

自分の基準が正しくて、そうでない人はダメ。眼の前で言われるとすごく強く、またこわくも見えます。しかし、その方が何故そのように言うのか理由を考えてみると、実際はすごく弱くて自信がない人なのだということが分かります。

 

自分と違う基準や価値観がある

それを認めたら自分のやってきたことや自分の価値が脅かされてしまう

自分の価値を守るにはそれ以外は間違いで自分以下だということを主張するしかない

 

これがマウンティングや攻撃の原理です。

しかし、実際はそこに力を使ったところで世の中も人も変わっていくし、色んな人がいて価値があるのも変わりません。それならば、なるべくフラットに物事をみて、最適な方法をとるのにエネルギーを使う方が楽で楽しいのではと思うのです。

 

基本的に正しくない意見はない。が、しなやかな方が楽

私は、基本的には「正しくない意見はない」と考えています。

そりゃもちろん、女は家に入ってるのが一番いい、とか言われたら超むかつきます。気に入らないし、受け入れるのは無理かもしれません。けどそれをもってその人が「間違っている」とは言えないと思うわけです。

なぜなら、その人にはその人がそう思うに至る何か理由があるわけで、そこも知らずに間違っている、というのは違うと思うからです。

もちろん聞いた結果やはり理解できない、となることはあるかもしれませんが、そういう考えの人がいるという勉強にはなりますし、全く相容れずお互い不快なら親密な関係にはならなければいいだけの話です。

 

しかし、はじめから正誤だけで話を進めようとすると、同じ考えの人からしか認められず、それ以外の人たちからは認められることも認めることもありません。ほとんどの人が考えも価値観も違うこの世で、それはとても勿体無い。(頑なであればあるほど色んな人から相容れないし理解したくもないと思われる確率が上がって人が離れていくので…)

おまけに結局は「自分が正しくないと困るんだー!」という弱さをさらけだしていることになるので、何だか、かっこよくないなぁ、と思うのです。

 

強さと自信があるほど多様な価値観を認められる

ちなみに、私の尊敬している元上司は、「あなたの転職は残念だったけど、今活躍していて楽しそうだ。してよかったね。自分は1個の会社で働いてきたけど、今はそれがスタンダードじゃない。外にでたら通用するかなあ、とか心配になるよ。もし困ったら雇ってよ笑」と笑顔で言っていました。(自分が40になった時、辞めた部下にこんなこと言えるだろうか…)

本当の強さと自信を持っている人は、他を否定することで自分の価値を主張する必要がない。だから他の考えや生き方を見て聞いても、認めて、ニカっと笑えるんだと思います。そしてそんな人はとっても素敵だなと思うのです。

 

私はまだまだ人間が小さいので、色んなニュースや他人を卑下する言動を見て「はあ!?」と憤ることもたくさんあります。が、少なくとも、自分の価値を守るために他人を攻撃する、という手段はとらないようにしたい!と思う今日このごろなのでした。